障害を受け容れる
子どもの障害が分かってから
ずっと心の中でモヤモヤしていた思い
はっきりと言葉にするのが良いのか悪いのかわからないけれど
自分にとっては言葉にするのが落ち着くための近道のような気がする
「障害」「受け容れる」でググってたどり着いた論文が
今のところ一番しっくりきている
「障害児の誕生が理想の子の死である」という仮説
人が一人死んだ時のショックの大きさと喪失感を考えると
この一年自分に起きているいろいろにも納得できる
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過去の愛着の対象(理想の子ども)の喪が完成して
はじめて現実の子(障害を持つわが子)との関係が形成される
障害児の親の1/4が段階説のような一過性の悲哀の時期を経験したが
残りの親は落胆と回復の過程の繰り返し
つまり慢性的悲哀を経験したと報告
病理型の精神遅滞の場合
染色体検査やその他諸検査によって
早期に診断が確定できる
ある年齢になるまで確定しにくい
このように診断を確定する困難度の違いは
親が障害について知る時期に影響を与える
発達の経過から障害が理解される場合が多い
そのため障害を認識するためには子どもの発達に関する知識がある程度必要となる
一般的に親は発達に関する知識が少ないため
親にとって状態像を客観的に理解し障害を認めることは容易ではない
診断の確定が困難で状態が理解しにくい疾患の場合
わが子の状態が一時的なものではなく将来にも及ぶことを認めるために
親は子どもの発達がいつか正常に追いつくのではないか
あるいは自閉が「治る」のではないかという期待を捨てることが必要となる
それまでは、親は否定と肯定の入り交じった感情の繰り返しを経験せざるをえない
これは、いわば親にとって慢性的なジレンマの状態といえる
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